心の叫びを文字におこしたら

メンヘラの思考実験

新宿駅で山手線ダイブしかけた話

その日はとにかく悲しいことがたくさん起こって、人前であるにも関わらず3,4度涙が零れそうになっては堪えての繰り返しで、夜になる頃には私の精神は摩耗しきっていた。

ホームへの階段を昇っていると発車ベルが鳴るのが聞こえたが、別段ペースを上げることはしなかった。急いでいなかったのもあるが、帰りたくない気持ちが強かったように思う。

結局電車には乗り遅れて、徐々に加速する電車の真横を逆方向に歩き始めた。新宿駅にはホームドアが無かった。

 

ふと、この鉄の塊に触れたらどうなるだろうかという好奇心が湧いた。

 

大きな力で跳ね飛ばされるのだろうか。それとも瞬間で人の形を失くしてしまうのだろうか。そんなことを考えていたかもしれないし考えていなかったかもしれない。

とにかくその時は靄がかかったみたいに頭がぼーっとしていて、足取りは段々と迫ってくる電車に吸い寄せられるように歪み始めた。

そこには周囲への迷惑も、家族も友人も、翌日行く予定のコンサートも、自分の未来もなく、何も考えられない状態だった。嘘みたいな話だが、自分が死ぬかもしれないという発想にすら至らなかった。ただ一つ、今私の隣にいる人はどんな反応をしてくれるだろうという望みだけがあった。

私はその時知り合いに手を引かれていて、でも体はふらふらと黄色い線を超えて、一歩、二歩。

三歩目で強い音と風を感じ、思わず足が止まった時にはもう電車が過ぎ去った後だった。

私は今、自殺しようとしたのか?

死にかけた恐怖よりも、その事実が何よりもショックだった。

 

私は自殺する人を悪だと思わないが、自身は自殺と無縁だと思っていた。何故って私の人生は何だかんだ楽しくて、死んでしまうなんてもったいないから。

そんな私が明らかにおかしくなり始めたのは去年、2018年だと思う。もしかしたらそれ以前から積もるものはあったのかもしれないけど。

嫉妬深く極度の依存体質で、自己肯定感が限りなく地に落ちて常に承認に飢えていて、趣味は自責で精神科医から「言いたいことが言えない人」と正式なメンヘラ認定をいただいた私。想いを言葉にできない呪いをかけられて、7年振りに自傷行為が再発してしまった私。

それまでは全く抱いていなかった希死念慮が私にも芽生え、この日希死念慮はついに自殺企図にまで進化した。今まで何度も死にたいとは言ってきたが、それは「人生リセットして強くてニューゲームしてえなあ」くらいの気持ちであって、まさか実行に移しかけるなんて思ってもみなかった。素人目に見ても精神状態が日に日に悪化しているのは明らかである。

 

高校に入って半年が経ったある日、知り合いが五反田で命を落とした。

都心の交通は瞬時に麻痺し、私が乗っていた路線も止まった。たまにあるんだよなあといつものように学校に到着してから事実を知った。

知り合いと言っても同じコミュニティにいただけで、3つ歳下である彼女の人となりは全く知らなかった。それが尚更悔しかった。

彼女の顔は思い出せないが、五反田を通ると未だに彼女のことを思い出す。

小中学校の頃の友達も自殺を図ったらしい。

話を聞いた時、未遂で何よりだと思った。人づてに聞いただけなので詳細は定かではないが、確かに彼女も昔から多くを背負わされているような子だった。

 

翌日は東京ドームに行かなければならなかった。

山手線ダイブ後にも心が死ぬ出来事があったりで、ここからコンサートのテンションまで持っていけるわけないだろと自暴自棄になっていたが、クレジットで支払い済みなのと、ブラックリストに載るのが嫌(FC申込だった)で無理やり家を出た。

昨日の今日で到底自分を信じられるわけがなく、物凄く不安(最寄りの路線はホームドアが全く無い)だったが、如何せん移動手段が電車しかないため浅い呼吸を整え電車に乗った。何事も無く目的地に辿り着いた。

色々あって低かったモチベも、ペンライトを買い座先についた頃には申込ボタンを押した時の状態まで回復していた。すみませんめちゃくちゃ楽しかったです。

東京ドームの真ん中で光り輝く彼らは私に一時の癒しをくれたけれど、それは鎮痛剤のようなもので、根本を解決してくれるわけではない。時間が経てばまた不安や悲しみが押し寄せ、溜まっている課題も積んでいる娯楽も全てが手につかない。

それでも私は死ねない。

今は幸いにも理性が勝っているので、突発的に死のうとは思わない。そして誰かに迷惑がかかる方法で死にたくはないと感じている。

あとやっぱり苦しいのは嫌だ。死にたいくせに馬鹿馬鹿しいと言われるかもしれないが、つらい状態から抜け出すために死を選びたいだけであって、そのために多大なる苦痛を受けなければいけないのなら思い留まってしまう。痛いのが怖くて整形ができないのと同じで、苦しいのが怖くて死ねないでいる。

死んだ後の自分の面倒はどうしたって自分では見れないから。どれだけ手を尽くしても誰にも迷惑をかけずに死ぬことができないのが歯痒い。だからせめて、葬儀の費用(相場は200万程度らしい)は自力で用意したい。それまでは死ぬのを我慢しなくちゃ。

いつか誰にも迷惑をかけずに、かつ気持ちよく死ねる方法を見つけた時、まだ私が人生に絶望していたらきっとその道を選択する。

今この瞬間、私は死ぬために生きている。

 

こんなこと書いてるけど、明日に不慮の事故で死ぬ可能性だって死ぬほどあるんですよ。人生って何が起こるか本当に分からないですね。